歴史と自然のまち「亀岡」

亀岡市に住みたい!

亀岡市オススメ観光スポット

嵐山から電車に乗ってわずか8分という好立地の亀岡市には毎年多くの観光客が訪れています。歴史と自然と文化が調和する小京都・亀岡のオススメ観光スポットを紹介します。

保津川下り

保津川は嵐山・嵯峨野の近いことから、1885年から遊覧船による川下りが行われるようになりました。約16kmの渓谷を2時間掛けて下ります。岩の間をすり抜けたり急流を乗り越えたりと、スリル満点です。過去にはルーマニア皇太子やイギリス皇太子などの賓客も興じたことから、王子から山本浜までの道のりは「異人道」と呼ばれていました。また、保津川下りは夏目漱石や三島由紀夫など数多くの作家に気にいられ、幾つもの文学作品に登場しています。春には亀岡市・市の花でもあるツツジが、秋には紅葉がとても綺麗です。また冬にはお座敷暖房船と姿を変え、雪化粧した保津川の荘厳な姿を楽しむことが出来ます。このように四季折々多くの観光客が訪れ、保津川の美しさを堪能してゆきます。

  • 所要時間:約2時間
  • 雨天:船にテントを張り運航(ただし暴風雨や増水により中止する場合あり)
  • 定員:22名(冬季暖房船は18名)
  • 料金:大人3900円・子供2500円

湯の花温泉

京の奥座敷、丹波の名湯・湯の花温泉は、亀岡市の中心部から西へ7キロほど行った静かな山あいに位置しています。戦国時代、傷ついた武将たちがその傷を癒すために訪れたそうです。湯の花の里には「桜石」と呼ばれる不思議な石があります。どこを切っても桜の花びらのような模様が浮かび上がる石で、菫青石仮晶(きんせいせきかしょう)という天然石です。この桜石の霊力によって封じられた鬼の涙が沸いたものが湯の花温泉だとする伝説もあります。ジョン・レノン、オノ・ヨーコ夫妻も訪れたことがあり、四季折々に見せる自然の景観と落ち着いたたたずまいが魅力の温泉です。

泉質:単純弱放射能泉(天然ラジウム温泉)

入浴効果:神経痛、筋肉痛、関節痛、冷え性、慢性消化病、疲労回復、通風、慢性婦人病など

源泉温度:17℃

自然と住まう町

嵯峨野観光線・トロッコ列車

保津峡で保津川下りと並んで有名なのが嵯峨野観光鉄道が運行している嵯峨野観光線のトロッコ列車です。路線は山陰本線の嵯峨駅から馬堀駅までの旧線を利用しています。保津峡の渓谷沿い約7.3キロメートルを25分で走るトロッコは、赤・黄・黒のコントラストがとてもかわいいDE10型ディーゼル機関車です。四季折々表情を変える保津峡の美しい自然の中を、悠然と駆け抜けてゆく姿は圧巻です。嵐山の観光といえばトロッコ列車といわれるほど有名で、年間100万人もの観光客が利用しています。近年では外国人団体客の利用も増えています。

  • 運行期間:3月1日~12月29日
  • 運休日:水曜日定休(春・夏休み、紅葉期間と祝日は運転)
  • 座席:全席指定
  • 料金:片道大人600円・小人300円
  • 販売:前売り券…トロッコ各駅、JR西日本みどりの窓口、各種旅行会社
  • 当日券…トロッコ嵯峨、嵐山、亀岡の各駅(先着順)

愛宕神社

「元愛宕」や「愛宕の本宮」とも呼ばれる亀岡市の愛宕神社は、「愛宕の三つ参り」として、三歳までに参詣すると一生火災に遭わないとされています。全国各地にある愛宕神社の総本山としても知られ、鳥居脇の社号標にも「本宮 愛宕神社」と記されています。本殿は鎌倉時代後期の造営で、国の重要文化財に指定されているほか、境内の木々が「亀岡の名木」に指定されるなど見所満載の神社です。「火産霊神」「伊邪那美神」「大国主神」の三つの神様が祀られています。

穴太寺(あなおじ)

穴太寺は西国三十三所第21番札所のお寺です。山号を菩提山と称し、本尊は薬師如来、札所本尊は聖観世音菩薩です。「あなおおじ」「あのうじ」と読まれることもあります。慶雲2年、文武天皇の勅願により大伴古麻呂が開創したそうです。昔、丹波国桑田郡の郡司をしていた男が、都の仏師に依頼して聖観音像を造り、仏師には褒美として自分の大切にしていた名馬を与えました。しかし、与えた名馬が惜しくなった男は、家来に命じて仏師を弓矢で射て殺してしまいます。ところが、後で確認すると仏師は健在で、観音像の胸に矢が刺さっていたのです。この「身代わり観音」の伝説は穴太寺の観音像だと知られており、この伝説は「今昔物語集」にも取り上げられています。重要文化財にも指定されていたこの観音像ですが、1968年11月に盗難にあい、いまだに発見されていません。本堂や多宝塔など多くの建物が京都府文化財に指定されています。

延福寺

高野山真言宗の寺院です。本尊は薬師如来で、久寿元年(1154年)文覚上人により開創されました。石造りの十三重塔が有名で、この塔は重要文化財に指定されています。初重塔身の四方に四方仏を半肉彫してあり、基礎部分には延文3年(1358年)願主西願の銘があります。

神尾山城跡

神尾山城(かんのおさんじょう)は柳本賢治の居城として大永六年(1526年)に築城され、その後明智光秀の丹波攻めの基地として使われたのではないかといわれている城です。金輪寺の裏山にあり、今でも石垣がそのまま残っています。天台密教の聖地に築城され、巨石怪石を利用した特徴のある大型山城でした。亀山市街地からは西へ16キロほど行った場所にあります。天守の構造は不明ですが多聞風櫓だったのではないかと想定され、階段状の曲輪群や石垣は圧巻です。

亀岡運動公園

亀岡運動公園は複合スポーツ施設を併設した公園で、市だけでなく府の体育大会などが数多く開催されている場所です。1988年(昭和63年)の京都国体にあわせて建設された体育館、競技場、野球場、プール、テニスコート、遊具などを兼ね備えた複合的なスポーツ施設で、市や府の内外を問わず盛んに利用されています。春には桜のライトアップが、秋にはコスモス園が開かれるなど積極的にイベントを開催しており、亀岡市民に広く愛されています。

金剛寺

金剛寺は臨済宗天龍寺派のお寺です。山号は福寿山で本尊は釈迦牟尼仏です。鎌倉時代の1289年(正応2年)高峰顕日(仏国国師)を開山として創建されました。江戸時代を代表する画家・円山応拳は亀岡市の出身で8歳からこのお寺で小僧として生活していました。15歳のとき、画家の道を勧めてくれた住職の玉堂がなくなったことをきっかけに京都で絵を学び始めたのだそうです。応拳は画家として名を成した後の1788年(天明8年)に金剛寺に赴き、本堂6室の襖と壁4面に「山水図」、「波濤図」、「群仙図」を描きました。この三作は現存しており、国の重要文化財に指定されています。また2005年には、応拳が玉堂を描いた水墨画の掛け軸や書簡が金剛寺で発見されています。

篠村八幡宮

篠村八幡宮は延久3年(1071年)に勅宣によって源頼義が誉田八幡宮から勧請し創建したとされています。当社は足利尊氏が打倒鎌倉幕府の挙兵をした地であることで知られ、亀岡市の史跡にも指定されています。現在も尊氏旗揚げの「願文」は境内に残っており、尊氏の戦勝祈願が成就したことを知った歴代将軍はたくさんの社領を寄進したのだそうです。ですが、後の応仁の乱や明智光秀の丹波侵略によってその社伝・社域の多くを失いました。江戸時代に入り、寛永年間(1624年~1643年)、亀山城主・菅沼定芳によって本殿が改修され、以後は亀山城主の直轄神社として庇護されました。

亀山城跡

亀山城は織田信長の命を受けて丹波攻略に従事していた明智光秀が、口丹波にある亀岡盆地の中心であった亀山に天正六年(1578年)から築城しました。現在でも石垣と堀が残されています。天守の構造は層塔型5重5階の大天守と2重の小天守が複合した複合式天守でした。大天守の最上階には飾りの回り縁、高欄を付け、最上重屋根に入母屋破風と軒唐破風があるのみで、それ以外の階や重には装飾的な窓や破風はありませんでした。現在城郭は宗教法人大本の敷地であるため、見学には許可を取る必要があります。

頼政塚

頼政塚は西つつじヶ丘にある亀岡市立つつじヶ丘小学校に隣接する小高い岡に建てられた、多田源氏源頼政の首塚です。頼政は平安末期に非業の死を遂げています。宇治で戦死した頼政の遺骸がここに埋められた理由として、丹波矢田郷が彼の領地の中で最も宇治に近かったからだといわれていますが、真相は不明です。江戸時代に近辺の僧侶が存在を疑って塚を掘り起こしてみたところ、石棺があったといわれています。亀岡市篠町浄法寺の国道9号線には頼政塚の交差点があり、京阪京都交通のバス停にも頼政塚の名前が冠されています。

いま密かに人気の観光スポット「亀岡」
広いお部屋をたくさんご提案します☆広いリビングで過ごす毎日は最高だよ!鹿嶋 田舎暮らしの広いお部屋は当社が見つけます!
2013 歴史と自然のまち「亀岡」
京都府亀岡市 亀岡市の特産品 亀岡市のお祭り 亀岡市オススメ観光スポット 出雲大神宮
保津峡 亀岡の自然 亀岡市出身の有名人 明智光秀 亀岡市の姉妹都市